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    まほろばの蒼き惑星・・・宇宙の詩。 Psychic Medium


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    十一曜の家紋

    皆様はご自分の家紋と言うものをご存知ですか?


    私は最近見たyahoo投票で家紋をお知りになられない方が多い事を知りました。

    勿論、私自身も興味が有りませんでしたが、我が家は戦国武将「石母田家」の血筋だという事は知っていましたので、家紋を早速調べてみましたらこれが面白い事に「十一曜」なのです。
    私のHNは七曜ですので微妙に「おしい」感じです。

    石母田


    石母田氏
    十一曜
    (清和源氏武田氏族)


        
     石母田氏は甲斐武田氏の流れをくむと伝え、武田を氏とし、伊達家初代の朝宗が伊達郡に移ったとき、それに従い同郡石母田城に居住し、石母田を称したという。以来、代々伊達氏に仕え、石母田光頼のとき、奥州探題となった晴宗に仕え、守護代となり安房守に叙任された。
     光頼の子景頼も伊達氏に仕えて天年間に軍功をあげている。天正十八年の奥州仕置の結果、翌十九年政宗が岩出山に移ると、景頼も伊具郡高倉村に移った。その後、文禄年間に加美郡谷地森村に、慶長元年に登米郡米谷村に所替となり二千五百石を禄した。景頼には男子がなかったため、娘に越前の人浦山清三郎景綱を迎えて家督を譲った。
     景綱は宗頼と称し、元和元年に奉行職となり、大坂夏の陣に出陣して道明寺口の戦いに軍功をあげた。翌年、胆沢郡水沢に移され、寛永年間に五千四百石の禄を給され、栗原郡三迫に転封された。以後、子孫が相継ぎ、一家に列した。
     光頼の弟氏頼は伊達輝宗に召し出されて別家を立て、六百五十余石を給された。子の安頼は大坂の陣に従軍し、元和年間、本吉郡・気仙郡の代官となり、のち評定役・歩子姓頭を務め、七百九十石余の禄となった。  光頼家、氏頼家とも分家を出したことで、仙台伊達藩士のなかに石母田氏が多く見られる。  



    石母田の地、仙台石巻を離れ、今この岡山県に住んでいますが、いつかその地に還りたいという思いに駆られています。

    石母田家の銅像もあるとか。
    懐かしき我が故郷に還れればとは思いますが、今は沢山の被災地になってしまっています。
    どうか私の先祖が愛した土地をこれからも御守り頂きたいと心から思っております。









    七曜 高耶




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    [ 2014/02/20 12:59 ]Posted by七曜高耶 | 個人的なお話 | TB(0) | CM(2)[記事編集]

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    [ 2014/02/21 09:36 ] [ 編集 ]

    Re: コロン様へ

    こんにちは、コロン様。


    コメントを有難う御座います!!

    縁というのは本当に不思議ですよね。
    今、コロン様がここにこられているのもやはり過去からの縁なのだと思いました。

    呼ばれる何かがきっとあった筈です。

    そしてこのブログを読んで下さる沢山の読者の方々様も過去の繋がりがあるのでしょうね。
    でないと探すのも難しいタイトルを付けている私の様なブログにはきて頂けませんからね(笑





    七曜 高耶
    [ 2014/02/21 11:29 ] [ 編集 ]

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