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七曜高耶

Author:七曜高耶
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★ ドリームセラピスト講座を修了。
★ シータヒーリング講座を修了。  
★ 日本超心理学会【学会員】
  主に予知に関する能力を研究中。  


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2014年3月26日、「三種の神器」のうち剣と璽­(曲玉)を携える「剣璽動座(けんじどうざ)」が行われ、七曜はその時「八咫鏡」を記事にした。

http://orangeapple01.blog62.fc2.com/blog-entry-1899.html

この時出てきた真偽不明の話の中に彼の「ダグラス・マッカーサー」が登場したのを読者の方は覚えておられるだろうか?
以下抜粋したその時の内容になる。


明治時代、ときの文部大臣・森有礼(もりありのり)が唱えた「神鏡ヘブル文字説」である。
 それによると森有礼大臣は、伊勢神宮の八咫鏡の裏面に、
ヘブル文字で、

ヤタの鏡


「エヘイェ・アシェル・エヘイェ」(「我は在りて有る者」のヘブル語 出エジプト記三・一四の言葉)  と刻まれているのを自分の目で見たという。

 またその後、昭和になって、日本が太平洋戦争で負けたとき、「連合国軍最高司令官総司令部」のある将軍(
ダグラス・マッカーサー ?)が「強制的に八咫鏡を見た」という話もある。

 

これらの事が真実とするならば、やはり「日ユ同祖論」が成立する可能性は高いだろう。



あの「ダグラス・マッカーサー」が関氏曰くのフリーメイソンメンバーだったとして、「強制的に八咫鏡を見た」と言う話しは、もしかすると「さも有りなん」であると思ったのだ。

と、言う事は、「八咫鏡」には彼らにとってそれだけの価値があったと言うことにはならないだろうか?

「日本」「ユダヤ」の関係は一体何なのか??

そして古くから伝わる日本独特のあの作法。



皆様もご存知ですよね?




そう。





三つ指ついてするお辞儀。

三本指は畳の上に置き、そして、三角を作り頭(こうべ)を垂れる。



あっ!!と思った貴方!!素晴らしいです!
そうなのです。

もう、普通に当たり前の様に行われている儀式です。

だからどうしたと言うことにもなりますが、実際は「伊藤博文」だろうが「坂本龍馬」だろうが固有名詞を出すまでも無く、既に民衆の中で行われてきていたのです。

そして彼らの「起源」は知られているよりもっと古いのもご存知ですよね。



さて、話がとびますが、この「オージービーフ」の広告に関しては、唯単に無理やり「陰謀論」にもってきている風に思えますが、三つ指については本当の話しです。

まあ、そんなこんなで要は彼等だけが特別な訳では無く、この「日本」が「特別な存在」なのですね。

さて、「皇室」はどう変化していくのでしょうか??


とにかく「イヤルの月」が終わる刻、その答えが自ずと解るのかもしれません。









七曜 高耶






クリック頂き有難う御座います。



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コメント

フリーメイソン

何かの本で天皇(何代前かは忘れた)にも入れと言われたようですが断ったとか。
そんな話をムーという本に出ていましたが天皇は別の使命があると思います。

七曜高耶様

この番組のことは知りませんでしたが実はマッカーサーは闇の権力の代理人です。

それを知ってて昭和天皇は1945年9月23日、マッカーサーに会いに行ったんです。

そしておそらくその時に戦後の日本の枠組みが決まったのです。

後にマッカーサー回顧録でその会談の内容と称するものが出てましたがまあこれはフェイクと見て間違いありません。

ただ会談後マッカーサーはニコニコしながら昭和天皇を見送った様子だったのでそれは闇の権力を満足させるものだったのでしょう。

実はこの時、闇の権力は天皇制を廃止しようと目論みました。

ところが何らかの理由で廃止できなかった。

それを見はからって昭和天皇は何らかの条件を持っていったようです。

残念ながらその時の条件とか内容は今に至るまでわかりません。

もしわかれば現在の日本の政治体制を大きく変えることができると思うのですが。

続き

全くの推測ですが、もしかすると憲法第9条をこの時昭和天皇が入れるように言ったのかもしれません。

前にもコメントしたと思いますが憲法第9条を入れたのは実は日本の神々の意向です。

今上天皇や美輪明宏さんの護憲は社会党や共産党の護憲とは違い日本の神々の意向を体現したものです。

http://www.youtube.com/watch?v=2QAp3KvgXRY

もし日本側の意向が取り入れられるとしたらこの会談のときしかないようにも思えるのですが。

『我は有りて在る者』

この一節、伊勢神宮の境内に立看板として掲げられてるらしいです。

Re: yoshi様へ

こんにちは、yoshi様。


コメントを有難う御座います!!


> 『我は有りて在る者』
>
> この一節、伊勢神宮の境内に立看板として掲げられてるらしいです。


本当ですか!!??
それはある意味驚愕!!v-405v-405

では、事実・・・と言う事ですか!?

ちょっとドキドキしてます~v-398
日本とユダヤ・・・ミステリアスで大好きですv-343





七曜 高耶

うろ覚えですが、伊勢神宮境内には、「10の戒め」というのがやはり掲げられているそうですが、それはまるで「モーゼの10 戒」の日本語訳であるとか。

他にも、伊勢神宮の式年遷宮には、木曽から柱にする巨木を切り出して運ぶ、「御木曳き」の行事がありますが、これも、古代イスラエルの木に宿る神「アシラ(柱)神」が元になっているとの説があります。

日本の神を「1柱、 2柱」と数えるのも、その名残だと思われます。

追記

ユダヤと伊勢神宮については、明治天皇のお孫さんでキリスト教の牧師をしておられる、小林隆利氏が公演されていて、You Tubeにアップされています。

(※URLの貼り方が分からないので、「明治天皇のお孫さん」で検索してみてください)



yoshiさんへ

 you tube動画をリンクしたい時は、動画の下の共有をクリックします。
 するとリンクURLが選択した状態で出ますので、それをコピーします。
 でここにペーストするだけ。
 ここのコメントは動画対応していないからだけれど、動画画面をリンクしたい時は埋め込みコードをクリック。
 これをコピー&ペーストすれば簡単にできます。

Re: yoshi様へ

こんにちは、yoshi様。


了解しました!!
早速検索してみます!!





七曜 高耶

昭和天皇

◇昭和4年(1929)
・「説明は聞く必要がない」(5月)…満州支配をもくろむ関東軍が暴走して張作霖爆殺事件が起きると、昭和天皇は軍の独走を懸念して田中義一首相に関係者の厳罰と軍紀粛清を命じた。ところが陸軍の反対で軍法会議すら開かれない。言い訳しようとする首相に立腹し、「この前の言葉と矛盾するではないか」「説明は聞く必要がない」と宮中奥へ立ち去った。

◇昭和7年(1932)
・「自分は国際信義を重んじ、世界の恒久平和の為に努力している。それがわが国運の発展をもたらし、国民に真の幸福を約束するものと信じている。しかるに軍の出先は、自分の命令もきかず、無謀にも事件を拡大し、武力をもって中華民国を圧倒せんとするのは、いかにも残念である。ひいては列強の干渉を招き、国と国民を破滅に陥れることになっては真にあいすまぬ」(4月頃)
…関東軍の満州国建国によって、日本が世界から非難を浴びた。

◇昭和8年(1933)
・「予の条件を承(うけたまわ)りおきながら、勝手にこれを無視たる行動を採るは、綱紀上よりするも、統帥上よりするも、穏当ならず」(5/10)…参謀総長が熱河省への進軍許可を求めた時、天皇はすぐに撤退することを条件に許可した。ところが撤退後に再び関東軍が華北(中国北部)に侵入した。

◇昭和10年(1935)
・「軍部に対して安心ができぬ

◇昭和11年(1936)
(二・二六事件に際し)
・「とうとうやったか」
・「まったく私の不徳のいたすところだ」
・「速やかに暴徒を鎮圧せよ」(2/26)

・「朕(ちん)の軍隊が命令なく自由行動を起こしたことは反乱軍と認める、反乱軍である以上速やかに討伐すべきである」(2/27)
◇昭和14年(1939)
・「出先の両大使がなんら自分と関係なく参戦の意を表したことは、天皇の大権を犯したものではないか」(4/10)
大島駐独大使と白鳥駐伊大使が、独伊に各独断で「独伊が第三国と戦う場合、日本も参戦する」と伝えた。

・「(中立の)米国が英に加われば、経済断交を受け、物動計画、拡充計画、したがって対ソ戦備も不可能なり」

・「参戦は絶対に不同意なり」(5/26)…ドイツと同盟すれば英米と対立することを懸念。

・「この戦争は一時も早くやめなくちゃならんと思うが、どうだ」(7/4)…戦線拡大を続ける支那事変を憂慮し、板垣陸相と参謀総長・閑院宮(かんいんのみや)を呼び問うた。

続き

◇「元来陸軍のやり方はけしからん。満州事変の柳条湖の場合といい、今回の事件の最初の盧溝橋のやり方といい、中央の命令には全く服しないで、ただ出先の独断で、朕の軍隊としてあるまじきような卑劣な方法を用いる様なこともしばしばある。まことにけしからん話であると思う」
・「今後は朕の命令なくして一兵でも動かすことはならん」(7/21)
板垣陸軍大臣に。(満州事変を画策した人物)

・「(日独伊三国同盟の交渉打ち切り)海軍がよくやってくれたおかげで、日本の国は救われた」(14-15年)…海軍の三国同盟批判を天皇は高く評価。

・「政治は憲法を基準にしてやれ」(8/28)…陸軍の内閣介入に注意。

◇昭和15年(1940)
・「(国益の為、手段を選ばぬ)マキアベリズムのようなことはしたくないね」(6/20)…ドイツの攻勢で英仏が弱体化。軍部はその隙に仏印、タイへの進出を狙う軍部の姿勢を天皇が批判。

・「指導的地位はこちらから押し付けても出来るものではない、他の国々が日本を指導者と仰ぐようになって初めて出来るのである」(夏)“指導的地位”という言葉を掲げてアジアに進出しようとする軍部を牽制。

◇昭和16年(1941)
・「強い兵を派遣し、乱暴することなきや。武力衝突を惹起(じゃっき)することなきよう留意せよ」(1/16)…北部仏印の駐屯部隊について杉山参謀総長に。

・「自分としては主義として相手方の弱りたるに乗じ要求を為すが如き、いわゆる火事場泥棒式のことは好まない」(2/3)
英仏がドイツに苦しめられている間に、彼らの植民地を奪おうという大本営政府連絡会議に。

・「なるべく平和的に外交をやれ。外交と戦争準備は並行せしめずに外交を先行せしめよ」(9/5)杉山参謀総長に。

・「この条約(三国同盟)は、非常に重大な条約で、このためアメリカは日本に対してすぐにも石油やくず鉄の輸出を停止するだろう。そうなったら、日本の自立はどうなるのか。こののち長年月にわたって大変な苦境と暗黒のうちにおかれることになるかもしれない。その覚悟がおまえ(近衛首相)にあるか」(9月)

◇昭和17年(1942)
・「人類平和の為にも、いたずらに戦争の長引きて惨害の拡大しゆくは好ましからず」(2/12)…東条首相に早期終戦を訴える。「長引けば自然と軍の素質も悪くなる」

・「なるべく速やかにこれを終結せしむることが得策である」(6/20)…東郷茂徳外相が和平の為ソ連に仲介を頼むことを報告。天皇は賛成。

・「慎重に措置するというのは、敵に対しさらに一撃を加えた後にというのではあるまいね」(6/22)…陸軍の梅津参謀長が「和平の提唱は慎重に」の発言に懸念。

原爆
・「有利な条件を得ようとして戦争終結の時期を逸することはよくない」(8/8)…広島に投下された爆弾が原爆と判明。東郷外相が戦争終結の転機にしたいと述べ天皇は同意。

・「私の切ない気持ちがどうして、あの者たちには、わからないのであろうか」(8/15)
…終戦に反対する陸軍の一部の将校が、近衛師団長・森赳中将を射殺し、偽の師団命令で近衛歩兵連隊を出動させて皇居を占拠、玉音放送を阻止するため録音盤奪取を企てた。

・「責任はすべて私にある。文武百官は私の任命する所だから、彼らに責任はない。私の一身はどうなろうと構わない。私はあなたにお任せする。この上は、どうか国民が生活に困らぬよう、連合国の援助をお願いしたい」(9/27)…マッカーサー元帥との初会見で。
「絞首刑も覚悟している」とも。

●詳細
焼け野原と飢えの惨状と化した国内を見回った後、
昭和天皇はGHQマッカーサーの元に訪れた

陛下は直立不動のままで、国際儀礼としてのご挨拶を終え、こう言われた

『日本国天皇はこの私であります。戦争に関する一切の責任はこの私にあります。
私の命においてすべてが行なわれました限り、日本にはただ一人の戦犯もおりません。
絞首刑はもちろんのこと、いかなる極刑に処されても、いつでも応ずるだけの覚悟はあります』

『しかしながら、罪なき八千万の国民が、住むに家なく、着るに衣なく、食べるに食なき姿において、
まさに深憂に耐えんものがあります。温かき閣下のご配慮を持ちまして、国民たちの衣食住の点のみにご高配を賜りますように』

マッカーサー
「天皇とはこのようなものでありましたか!天皇とはこのようなものでありましたか!私も、日本人に生まれたかったです。
陛下、ご不自由でございましょう。私に出来ますることがあれば、何なりとお申しつけ下さい」

陛下
「命をかけて、閣下のお袖にすがっておりまする。この私に何の望みがありましょうか。
重ねて国民の衣食住の点のみにご高配を賜りますように」


敗戦国の君主は、ほとんどすべて殺されるのが常であり、
それゆえ、命乞いをするか、または、命惜しさに国を捨てて海外に逃亡するのが普通だった

しかし、他とは全く異なる日本の天皇の姿にマッカーサーは激しく感銘を受け側近に
「天皇を処刑することは、イエス・キリストを十字架にかけることと同じだ」と述べたことが記録に残っている

天皇
「皇室の中には国際的価値のあるものが相当にあるとのことだから、これを代償としてアメリカに渡し、食糧に代えて国民の飢餓を一日でもしのぐようにしたい」と御物目録をつくらせました。

これを聞いた司令官マッカーサー元師は、「御物を取り上げてその代償として食料を提供するなどと自分とアメリカの面目にかけてできない。」

そしてアメリカ本国に食料緊急援助要望をし、これが日本の食料危機は大幅に緩和さた

マッカーサー「なぜあなたは戦争を許可されたのですか?」
天皇「もし私が許さなかったら、きっと新しい天皇がたてられたでしょう。それは国民の意思でした(世論は鬼畜米英色だった)。こと、ここに至って国民の望みに逆らう天皇は、恐らくいないのでありましょう」


昭和天皇
日本国憲法公布(昭和21年)
 この憲法は、帝国憲法を全面的に改正したものであつて、国家再建の基礎を人類普遍の原理に求め、自由に表明された国民の総意によつて確定されたものである。即ち、日本国民は、みづから進んで 戦争放棄し、全世界に、正義と秩序とを基調とする永遠の平和が実現することを念願し、常に基本的人権を尊重し、民主主義に基いて国政を運営することを、ここに、明らかに定めたものである。

日本国憲法
 朕は、日本国民の総意に基いて、新日本建設の礎が、定まるに至つたことを、
深くよろこび、 枢密顧問の諮詢及び帝国憲法第七十三条による帝国議会の議決を経た帝国憲法の改正を裁可し、ここにこれを公布せしめる。


●日本製原爆

◇日本は早く完成する可能性があり、敗色濃厚だった日本の軍部にとっては画期的なもので、それによるマリアナ諸島やハワイへの投下計画を考えた

しかし、計画を上奏した東条首相と杉山陸相に、昭和天皇は「戦争とは言え人類絶滅に通じる新兵器を使用してまでも勝てば良いということではない」と強く述べられた

「数カ国がその新兵器開発を競っているとの事だが、日本が最初に開発し使用すれば、他国も全力を傾斜して完成させ使ってくるようになるであろうから、全人類を滅亡させる事になる
それでは、人類絶滅の悪の宗家に日本がなるではないか
またハワイに投下する計画との事だが、ハワイには、日本の同朋が多数移住し、現地民とともに苦労し今日を築きあげたところである。そのような場所に新兵器を使用することには賛成しかねる」

昭和天皇は、日本のみの利益に立って考えることをされず「世界平和」という視点に立ち、いち早く原爆開発の中止を命じられたという話がある


東條首相
「こんな簡単に手をあげてしまう政府・国民の意気地無さは夢にも思わなかった」
「そんな国民を当てに戦争指導していた自分は馬鹿だった」
「たった二発の原爆で降伏してしまった」
(当時、このような意見は稀なことではなかった)

急な西洋化から明治レジームは内部から崩れていた

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